☆ 小川 博司 という男
今からおよそ7年前。
家を新築されたばかりの若奥様と、お母様がミヤモト家具にやってきた。
他の家具屋さんで家具を買い揃えた後に、ミヤモト家具を知り、御来店いただいたお二人は、
「もっと早くこの店を知っていれば、家具は全部ここで揃えたのに…」
と、名残惜しむように話し、家の小物やベットのシーツなど、足りないものをご購入いただいた。
宮本 豊彰 当時29歳の頃の話である。
「今度は、主人を連れてきます」
そう言った奥様の言葉を、社交辞令だと受け止めていたのだが、数日後、奥様は本当にご主人を連れてミヤモト家具にやってきた。
美人で細身の奥様には、若干想像しにくい、大柄で、威圧感さえ漂うご主人。
そう、この男こそ、現在、富山のリフォーム業界のリーディングカンパニー、株式会社オリバーの代表取締役。 小川博司という男である。
いかにも、無理やり奥様に連れてこられた感まる出しの彼は、特別その日、私と話をすることも無く店をあとにしたのだが、私はそんな彼を見て、
「きっと御主人には店を気に入ってもらえなかったんだな」
そう思い、まぁワンテイストのミヤモト家具だ。そんな人もいるはずだと、特別気にもしていなかった。
それから数日後、私に1通のメールが届いた。
そう、御主人の小川さんからである。
「今度、是非お逢いしたい。時間をつくってもらえないか?」
といったような内容だった。
恐る恐るお逢いしたのだが、当時、全くの無名のミヤモト家具(別に今が有名なわけではひとつも無いが)、そんな私に対し、
「初めてお逢いした時に、確信したんです。きっと宮本さんは将来、先生と呼ばれるような家具屋のオーナーになる人だ!だから、今のうちに仲良くなりたいと思ったんです」
そんな馬鹿な。何ともうさんくさい話だが、その理由を聞くと、
「ボロボロのジーンズでロン毛の20代の経営者に、これだけ完璧な対応をされたことが無い」
というものだった(笑)。若干、余計なお世話である(笑)。
それから、付き合いは深まり、いつの間にか僕らは、「友人」と呼びあう仲になった。
今では年商8億円。従業員30人を抱える有名社長になってしまった小川さん。
理念経営に転換した5・6年前に、従業員を大勢無くしながらも自分の道を信じ、お客様から本当に愛される企業へと導いた、その手腕は、富山の若手起業家に勇気を与え、数多くのセミナー講師を務める彼こそまさに、「大社長」と呼ばれるにふさわしい経営者へと登りつめた。
富山で、今じゃオリバーさんほどクオリティーが高く、ご満足いただけるリフォームができる企業は、そうはいない。
先日、彼と、とある異業種交流会で一緒になった。
初めてお逢いした7年前と比べると、随分と痩せて、威圧感が無くなりました(笑)。
経営者としての風格が感じられるが、何より私は、誰よりも友達思いで、誰よりも義理堅く、そして誰よりも人の良い所を見抜く能力を備えた「小川 博司」という男に惹かれている。人は誰でも他人の悪い所は見ても、良い所を見つけようとする人は少ない。
小川さんが社長でなければ、私はオリバーさんとお付き合いすることもなかった。
昨日の異業種交流会で、小川さんが私に言った言葉。
「ミヤモト家具が、そして宮本さんが、こんなに有名になることを、僕はとっくの前に想像していた。今、ミヤモト家具を知らない人なんていないでしょ。初めて逢ったあの日。この人は将来すごい人になると感じた自分の目は、やっぱり節穴じゃなかった」
そう言われて嬉しい反面、まだまだ未完成で未熟な家具屋であることに、何だか恐縮してしまう自分。
「宮本さん!お互いの業界で、富山のナンバーワンを目指しましょう!」
と、出逢って間もない頃に言われ、そんなことを想像もしていなかった自分が、少しづつであるが歩み始めようとしたキッカケをくれたのは、他でもない。小川さんだった。
彼が目指すべき会社のゴールは、想像できないくらいに遠くて深い。
向上心の高い、彼のゴールは無いのだと思うが、私が生きている間、そんなオリバーさんと小川さんの躍進を、ずっと見て行きたいと思った、そんな夜。
私は自分の友達に誇らしげに言うだろう。
「小川さんは、自分の大切な友人なんだ。彼は近い将来、先生と呼ばれる人になるんだよ」
小川 博司 37歳
若い頃にオヤジさんを亡くし、その遺志をも受け継いだ過去の境遇は、どこか私とも似ている。数々の苦難を乗り越え、理念経営を志し、何があろうと自分の信じた道を歩み続けた、とっても勇敢な男の話。
彼もまた、私の「大切な ヒト」 である(*^_^*)
宮本 豊彰
ミヤモト家具
INTERIOR SHOP MIYAMOTO
株式会社 オリバー