善田 希 という女
今からおよそ3年前の、2009年11月。
まさかあの時の何気ない出逢いが、こんなにも重要な出逢いになることを、私は当然知るよしもなく。
いつもの調子で、な〜んにも考えずに、総曲輪フェリオ前を横切った。
宮本豊彰 当時34歳。
その時出逢った、ひとりの女性起業家。
若きし頃から、テレビや新聞、ラジオに雑誌にと、マスコミに引っ張りだこだった彼女の名は、
善田 希
当時私は、彼女が発した何気ない言葉に、何だか身震いがする程、純粋に引き込まれてしまった。
「紙バンドを日本のスタンダードにしたいんです!」
そんな壮大すぎる夢を抱き、わずか6年でその夢を叶えてしまった、とっても勇敢な女性の話。
彼女が作りだす作品は、日本中から称賛を受け、講師を勤めた参加生徒数は5000人以上を数え、開講した教室数も400回以上。
今では、富山遺産の認定は勿論、政府・内閣府が認定する、「公益財団法人 日本生涯学習協議会」において(会長は桂 由美)、理事長を勤め上げる彼女はもはや、私の友人と言うにはおこがましいのかもしれない。
う〜ん。「昔は友人だった」とでも言っておこうかな(笑)
先日、仕事ついでに彼女のお店に寄ってみた。
作品を生み出すカラフルな材料。
これがエコ素材と言われる紙バンド。もともとは木材のはずだから、意外と家具と共通点も多いと思うのだが、
皆様も見た事がないだろうか?
これが、彼女が「日本のスタンダード」にしてしまった紙バンドの作品である。
デザインも幅広く、古来より受け継がれてきた編む・結ぶ・組むといった技法を使った多彩な手編みのテクニック。
可愛いデザインの中にも、とても奥深いものが感じられる。
ちょうど昨日、久しぶりにメールが来たと思ったら、
「宮本さん!肉食べたくないっすか!」
と来たので、仕事を片付け夜中の焼肉屋(~_~;)烏龍茶を片手に、ビックリするほど食べまくった私と善田さん(笑)。
私も烏龍茶オンリーで、酔っ払っているかの如く語り合えるのは、相手が善田さんであるがゆえと思う。
基本、仕事の話が主なのだが、彼女の話す内容はいつ聞いても楽しい。
何というか、「生きてるっ」って感覚になる。ちょっと大袈裟かな?いや、意外とこの言い方は正しいと思う。
彼女が話す一語一句には、何だか「愛情」と言えば良いのか「優しさ」と言えばいいのか、とにかく何か「感情」が感じ取れるのだ。
まさに、これまでの生き様が、圧倒的な彼女の存在を造りだしたのだと思う。
紙バンドを広める為、車一台で、セミナーや教室を月に40〜50本もしていた日々も、テレビやラジオに雑誌にと、多くのメディアからの取材も全力でこなし、馴染みのなかった紙バンドを、ついに全国区にしてしまった彼女の情熱は、純粋に沢山の人に感動を与え、幸せと、生きる喜びを与えたに違いない。
同時に彼女は、紙バンドを志す生徒さんの夢であり、目標にならねばならなかった。
そのプレッシャーと、憧れの「善田 希」であり続けなければならなかった、その苦労と孤独感。
これは私の勝手な想像だが、彼女は日本一であるがゆえに、常に見えない敵と戦っていたに違いない。
先日、お店にお邪魔した時に、写真を撮らせてもらった。
基本、ノーメイクの善田さん(^^)
紙バンドでつくった花を手に、照れ隠しをする彼女。
自分で「アラフォー社長」と言っているようだが、とてもそんな歳とは思えにくい(笑)。
善田 希
紙バンドの師範として、家元として、それを求めたかどうかは別として、彼女は必然と多くの使命を背負ってしまった。
「宮本さん!孤独から少し抜け出せました!」と、焼肉屋の帰りにもらったメール。
孤独じゃない経営者なんて普通いない。言葉に出さなくても、私達は志を同じくした仲間同士であるに違いない。
彼女のゴール地点こそ、全く想像つかないが、見届けることが出来る限り、ずっと彼女の活躍を見てみたいと思ったそんな夜。
幼い頃に難病を患いながらも、自分を信じ、何があろうと、真っ直ぐに歩き続けた善田さん。難題にぶち当たろうと、いつだって勇敢に立ち向かった。そして歩き続けたその先に、大きな夢を描いた善田さん。
彼女もまた、私の、“大切なヒト”である(*^_^*)
宮本 豊彰
ミヤモト家具
INTERIOR SHOP MIYAMOTO
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紙バンド販売店あとむ
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善田 希フェイスブック
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