石橋 孝史 という男
今からおよそ8年前の2004年の冬。
駅前のとある居酒屋で出逢った、当時40歳の実業家。
私は20代も半ば過ぎ。未熟者であまのじゃくな若輩者が、大人(おとな)になってから出逢う「大人」は、その後の人生を大きく左右する「出逢い」になるに間違えない。
初めてお逢いした時に、何故かそんなことを感じたあの日の事を、私は今でも鮮明に思い出せる。
彼の名は、株式会社越中富山スペシャリストファーム代表取締役、株式会社ヒューマン・サポート取締役、株式会社トリニタスジャパン取締役、その他数えきれない程の経歴を持つ、 石橋 孝史 という男である。
本当は、私が気安く仲良くなれる程の人ではないが、なぜだろう。何だかとても話しやすく、石橋さんと話した後は、どういう訳か穏やかな気分になれる。こういっては失礼なのだが ̄1も歳の離れた石橋さんが、経営者の友達の中でも(友達っていうのも失礼だけど)一番自分の事を理解してくれているような気さえもする。
「石橋さんてどんな人?」
と、もしも仮に聞かれたとするならば、こう答えるだろうなぁ〜。
「彼は、社長が集まる会社の中の社長って感じかな(*^_^*)」
団体行動をあまり好まない私は、基本的に青年会議所や商工会議所といった所は何があろうと属さないわけであるが、石橋さんが所長を務める「本物研究所」という所は、ある意味、特別な場所である。
あくが強過ぎる経営者と(笑)、仕事に対する「志」が随分と高いところなどは、富山県屈指の団体であると言えるだろう。この集団をまとめるには、経営者としての能力もさることながら、まさに強いリーダーシップと、とび抜けた人間性が不可欠である。
噂によると、昔は随分と恐ろしい人で、平気で経営者の人と、所構わず喧嘩をしていたと聞いたことがあるのだが、今では、
まるで、仏の様に優しく、とても紳士な男である。
彼の仕事は、コンサルティングをメインとし、会社経営や人材育成など幅広い。「会社を育て、社長を育て、社員を育て、富山県を元気にする」というのが、自分の使命であるというのだが、馬鹿な私にはあまりにも壮大過ぎて、若干ついていけない時もある(笑)。
先日、私がこの先やろうとしている事に関して相談した所、数日後、
「宮本くん!わかったよ!きっとこの先、宮本くんがやるべき仕事はこんな事じゃないかって、考えたんだ!」
と電話があり、お逢いすると、わざわざレジメにして持っていらした。伝える事だけ伝え終わると、さっそうと帰って行く石橋さん。
何だかよく分からないが(笑)、ずっと以前から、私は石橋さんに見守られているような気がしているのだ。
石橋さんと知り合った8年前も今も、私はそう変わらないが、会社を守る為、家族や働いてくれる従業員の生活を守る為、自分の休日や楽しみは二の次で、ずっと仕事に没頭してきた。
成果が出た時に、一緒になって喜んでくれた石橋さん。
壁にぶち当たった時に相談すると、普段では見せる事の無い怖いくらいの表情で、親身になってアドバイスをくれた石橋さん。
家具が必要なときには、当然のようにミヤモト家具に購入しに来る石橋さんに、そういえば私は何ひとつ恩返しをしたことが無い。
石橋 孝史 47歳
プロのコンサルタントとして、数々の会社の発展と、人の成長をを実現してきた彼の手腕を、今さらながら疑う人もいない。
きっと、彼への恩返しは、未熟な私が成長していくことにあるのだと最近思うのだが…。
知り合ってからの8年間。私は微々たる成長も見せていないから、これから、たくさん、恩返しが出来るはずですね(^^)
以前、私が会社をし始めた頃の貧乏暮らしの話をした時のことだ。
「一生懸命頑張っていたら、きっと何処かで、誰かが見ていてくれるんだね」
と言ってくれた石橋さんの言葉に、当時とっても救われた。
本当に優しい人って言うのは、こんな人のことを言うんだろうなぁ〜って、その時思った。
自分の信念を貫き、今も、人の為、富山の為に力強く歩み続ける石橋さん。
彼もまた、私の、大切なヒト である(*^_^*)
宮本 豊彰
ミヤモト家具
INTERIOR SHOP MIYAMOTO
株式会社ヒューマン・サポート
株式会社トリニタスジャパン